セルフイメージ

「こわいお姉さん」

「粗相をしたら撃たれそうだと思った」

いずれも今年の一年生から言われたことだが、多分一年生の授業と迷彩パンツの着用ローテーションが重なるからだと思われ。最近セルフイメージがよくわからなくなっているので、何を言われても面白い。ロングヘアだし、昔の自分からすると外見は相当女っぽい。フェミニンなのが嫌でしょうがなかった頃からすると、ものすごい変化かもしれない。(オンナオンナしてるのが嫌なのよ!→どうせ女なんだからさ、的な開き直りか?)

昼はラジオの収録だった。振られた話題にしごく普通に答えていたら1回で終わってしまいましたが…大丈夫なんでしょうか。
それにしても喋りのプロはすごいな。収録前の世間話もすでにそれらしい内容だったのだが、本番!になると声の出し方が全然違った。瞬時にスイッチ入るんですね。いや、すごいわ。

放置しすぎの間に不正アクセスとか

サーバを借りているロリポップから「WPが不正にアクセスされ(そうになった)ので制限かけたよ」というメールが来ていたのだが、それでもさらに放置を続けていた。ふと知り合いのブログを見たら、カッコよく模様替えされていて、とても久々に「ああ、こうしたい!アタシもカッコよくしたい!」と平たい欲求が。とりあえず目に付いたテーマ(外観)に変更。FB連携とか、まだ全然だがとにかくまあ変更欲求は満たした…。

またここで止まる予感がするけれど。

taby

ついに三月

この一ヶ月でやらねばならないことを思うと冷や汗が出る。
ともかくやるしかないのだが…
通常業務は固定のお客様が多く、さほど大きな動きは ないものの、やはり大学関係が計り知れないorz
なんとかうまくつながりますように…

普段きもの

きものを着たいと思って母に伝えた時、それじゃあ浴衣買って着てみなさいよと言われ、本を見て着てみた。案外快適だというのと、単に着てるのが楽しいコスプレ感覚とで、頻繁に着るようになった。たまたま綿麻きものというか、襦袢をインして夏着物に!というやつのハシリだったのかもしれない。黒に雨が降るような細い縞が走っているきものだったので、秋口まで着ていた。
それでは冬はどうするのか?どこかに着ていくために着ているわけではないので、よけいに難しい。よそ行きならばなんとなく見当がつくが、家で着るとなると。おばあちゃんはどうしていたっけ?
冬場はウールでしょ、とまた母が言うので、中学生まで着ていたウールのアンサンブルを思い出した。毎年どちらかの祖母が縫ってくれるのだが、きまって藍色地に赤や緑の絣柄だった。えー、ウールってあれかい、と思いながらネットを見ると、いろいろな柄ゆきがある!ヤッタ!
下着は、襦袢は?と疑問が増えていく。毎回正絹の襦袢を着たら、あくる日はどうするのか?そんなにしょっちゅう洗いに出すのか?
幸田文の「きもの」を読んでいたら「あたしらはどう見たって木綿の顔だ」というような一節があった。「なかにはぞっくり下着から絹を着ている人もあるだろうさ」「それってどんな人?」というようなやりとりだったと思う。庶民は絹の下着など着ていなかったのだ。当たり前だ。そんな人はお姫様かお殿様ということだろう。
きものは毎日着るものではなくなり、日本にお姫様はいないことになって久しい。うっすらと記憶にある祖母の普段着の姿、何色とも言えないような紬か木綿?前掛けや割烹着に分断されて、ますます着姿は曖昧だ。下着はレースがついた筒袖のようなものだったと思う。何重にもなった湯文字やお腰で、今思えば体温調節していたんだろう。
普段着なんだから、もっとおおらかに考えていいんじゃないか。筒袖だって、何かまずい箇所が見えるわけではなし。
もっとも、祖母の時代と単純に比べることは難しい。昔はもっとドレスコードが厳しかったと思う。よそ行きはよそ行き。普段着は普段着。今の日本では、洋装はそのあたりが格段に緩い。(Gパンお断りの場所はそりゃあるけれど)
祖母が生きていたら言ってみたい。「久留米絣が高級品なんだって。ものすごく高いんだよ。」と。実家は産地のど真ん中で、祖母にとっての久留米絣は野良襦袢か書生(学生)の着物だったそうだ。「きっと、『わざわざそげんかと着なさんな』って言うよ」と、母は面白そうに言うのだが。

道具考

久留米絣で思い出した。実用することについて。
作りだされるまでの莫大な時間と労力、さらには技術の習得にかかる時間を加えると、そのようなモノにはそれなりの対価が払われるべきだと思う。そのモノを必死に手に入れ、大事にちゃんと使う。使わなければ本当の良さはわからないし、モノ本来の用途をなさないのは不健全に感じる。モノの存在理由を曲げないほうが好ましいように思うから。それ以上の意味は…なんだろう。
そのために作られたものがその目的を十二分に果たしている、その姿に満足するからなんだろうか。

道具学を掲げるデザイン事務所にいたおかげなのか、いわゆる「道具」については考える機会が多かったが、和装への関心から思うに「着るもの」ではどうなのか。
単に身につける道具であって同じである、ということもありそうだ。実用的な繊維は実用されてエイジングする。木製品や金属製品と同じことだ。モノは永遠ではなくいつか壊れると坊さんが言うように、その時間の長短はあってもみないずれ土に還っていく。
繊維は寿命の短い素材だろう。それを使いたおすのが日本の生活だったわけで、洗い張りし、仕立て直し、染め直し、継ぎはぎし、小裂はハタキに、仏壇の小座布団に、果ては燃やして灰になった灰汁を使った。(これは絹物の運命に限る?)小さな穴に1センチ四方の継ぎをあてて、それでも数十センチしかない端切が実家に沢山ある。紫の無地の綸子で、いったい元は何だったのか想像もつかないが、その布裂に対する執念に脱帽する。何かにしなければ、という執念である。
実用するということ、使う目的に対して磨き上げられた道具は美しいことが多い。布であれば、機能美にさらに色気をまとわせることができる。色気が勝てば実用から遠くなり、濡らすことはできないが大事にされ三代もつと言われる。ハレの日の布。しかし働く布には別種の美しさがあるし、それを愛でることでケの日も楽しく暮らすことができる。
働く布は働かせ水をくぐらせ陽に干すことを楽しめばよいんだろう。高価な手織りの木綿も、手間を考えれば納得する。昔はそんなに反物など買えなかっただろうし、それは手織り労働に対する正しい価値ということだろう。それでも木綿は働く布だ。使ってナンボ、永遠にとっておくものではないんだろう。

正しく使ってやろうと思う。