普段きもの

きものを着たいと思って母に伝えた時、それじゃあ浴衣買って着てみなさいよと言われ、本を見て着てみた。案外快適だというのと、単に着てるのが楽しいコスプレ感覚とで、頻繁に着るようになった。たまたま綿麻きものというか、襦袢をインして夏着物に!というやつのハシリだったのかもしれない。黒に雨が降るような細い縞が走っているきものだったので、秋口まで着ていた。
それでは冬はどうするのか?どこかに着ていくために着ているわけではないので、よけいに難しい。よそ行きならばなんとなく見当がつくが、家で着るとなると。おばあちゃんはどうしていたっけ?
冬場はウールでしょ、とまた母が言うので、中学生まで着ていたウールのアンサンブルを思い出した。毎年どちらかの祖母が縫ってくれるのだが、きまって藍色地に赤や緑の絣柄だった。えー、ウールってあれかい、と思いながらネットを見ると、いろいろな柄ゆきがある!ヤッタ!
下着は、襦袢は?と疑問が増えていく。毎回正絹の襦袢を着たら、あくる日はどうするのか?そんなにしょっちゅう洗いに出すのか?
幸田文の「きもの」を読んでいたら「あたしらはどう見たって木綿の顔だ」というような一節があった。「なかにはぞっくり下着から絹を着ている人もあるだろうさ」「それってどんな人?」というようなやりとりだったと思う。庶民は絹の下着など着ていなかったのだ。当たり前だ。そんな人はお姫様かお殿様ということだろう。
きものは毎日着るものではなくなり、日本にお姫様はいないことになって久しい。うっすらと記憶にある祖母の普段着の姿、何色とも言えないような紬か木綿?前掛けや割烹着に分断されて、ますます着姿は曖昧だ。下着はレースがついた筒袖のようなものだったと思う。何重にもなった湯文字やお腰で、今思えば体温調節していたんだろう。
普段着なんだから、もっとおおらかに考えていいんじゃないか。筒袖だって、何かまずい箇所が見えるわけではなし。
もっとも、祖母の時代と単純に比べることは難しい。昔はもっとドレスコードが厳しかったと思う。よそ行きはよそ行き。普段着は普段着。今の日本では、洋装はそのあたりが格段に緩い。(Gパンお断りの場所はそりゃあるけれど)
祖母が生きていたら言ってみたい。「久留米絣が高級品なんだって。ものすごく高いんだよ。」と。実家は産地のど真ん中で、祖母にとっての久留米絣は野良襦袢か書生(学生)の着物だったそうだ。「きっと、『わざわざそげんかと着なさんな』って言うよ」と、母は面白そうに言うのだが。

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